Thursday, May 12, 2011

無題

それはワタシの誕生日の前日だった。

ランチタイムを終えて、ベビとお姉ちゃんとカウンターを挟んで笑いながら話をしている時だった。

あれ?揺れてる?
え?トルソーが揺れてる。地震だね。

その時はいつもの小さな地震だと思ってた。

あれ、スゴくない?

いつまで経っても揺れが止まらなくって、
いつもより大きな揺れに、どんどん不安になってきた。。。

ベビをぎゅっと抱きしめた。
ベビはきょとんとしていたけど、ワタシの不安などきどきが伝わったと思う。

どうしよう。津波が来るんじゃないかな。

ここは海に挟まれた函館。。

1か月くらい前に、ふと父に聞いていた。
「ねー、もし、大きな地震が来て津波が来たら、ここは大丈夫なのかな。。。」
海抜の話と、ウチは鉄筋だから地震で崩れるってことはたぶんないことと、大津波が来たら、4階の屋根裏部屋に行こうという話をしてくれて、少し安心した。
ネパールで制作活動をしていたAsian Prideのhiromixがツイッターやブログでネパールの計画停電のことを書いていて、「日本ってほんとに豊かで恵まれている国なんだな」と改めて思い、hiromixとのメールで、「いつ何が起きてもすぐに避難できるように、ベビの荷物だけでもザックに詰めようと思う」なんてやりとりしてた。
ある意味、虫の知らせみたいな感じだったのかな。ざわっとした。

そんな会話をした1か月後の3月11日に震災が起きた。

揺れている間は、とにかくベビをぎゅっと抱きしめて、どうやってベビを守ろう。どうしよ津波が来たら、どうしようベビを守れなかったら。。。
どうしよう。
どうしよう。
揺れが大きく、長い長い揺れの間、だんだんと血の気が引いて行ったのを覚えている。

揺れが止まった後、ワタシは真っ先におんぶひもでベビを前抱きしてどんな状況でも絶対に離れないようにした。
ずっとずっと、心臓がどきどきしていた。
自分の命よりも、ベビを、命を絶対に守らなきゃ。そればっかりを考えていた。

店内にいた私たちは、お姉ちゃんの携帯でテレビをつけて、状況を知った。。

このおんぶひもでつながってる私たちが、絶対に離れませんように。。
こわくてこわくて、泣きたかった。
ここでもこんなに大きく揺れてコワかったのだから、震源地に近いところの人たちはもっともっとなんだ。。。
関東でも大きな揺れ。
千葉にいる妹。。。すぐに電話したけどつながらない。
東京にいるいとこ達。友達。
東北のいとこ達。友達。

電話もメールもつながらない。
ツイッターは動いている。
ツイッターで連絡。
ツイッターやっててほんとに良かった。

ベビにこの不安が伝わりませんように、抱っこしながらベビの好きな歌を唄い、
背中をとんとんしながら、抱っこヒモで密着しているのに、それでも両手で抱き寄せていた。

ベビがすやすや気持ち良さそうに眠った。

この寝顔。
ぜったいに守らないと。
強く強く思った。

この子を授かり、この子を産むまでの間、たくさん不安にさせちゃったから。
わたしは、ただただ命を守りたかった。
ただそれだけ。
ただそれだけのこと。
ふつうのことだよね。

この日、たくさんの尊い命が奪われた。

何をどう動いてよいのかわからなくって、どう書いていいのかもわからなくって、
書こうとして、苦しくなり、書くのをやめて、
書いて、消して、
また書いて。。。。

地震と津波、そして原発。。
無知だった。いろんなこと。

************************

震災から2か月が経った。
ずっと投稿できずにいたこのブログを今日読み返して、やっと投稿した。

今私には守るべき命がある。
今、となりですやすやとお昼寝している我が子。

家族に支えられ、生かされ、我が子に支えられ、生かされ、
わたしがわたしでいられる今にほんとに感謝。

あれからずっと考えてる。
今わたしに出来る事は何か。
大きなことは出来ないけど、母として、人として、小さなことから少しずつ
出来る事をやって行こうと思う。

我が子のため、家族のため、日本のみんなのため、世界中のみんなのため、
母なる地球のために。。